アタッチメント

善い人生を生きるために必要なもの

tatsuです。

大学院の授業で愛着についてディスカッションをしていたときに、一人の学生がアマルティア・センというインドの経済学者を紹介してくれました。彼の「潜在能力(capability)」という学説がとても印象に残っています。

潜在能力とは 「人が善い生活や善い人生を生きるために、どのような状態にありたいのか、そしてどのような行動をとりたいのかを結びつけることから生じる機能の集合」としている。具体的には、「よい栄養状態にあること」「健康な状態を保つこと」から「幸せであること」「自分を誇りに思うこと」「教育を受けている」「早死しない」「社会生活に参加できること」など幅広い概念である。そして「人前で恥ずかしがらずに話ができること」「愛する人のそばにいられること」も潜在能力の機能に含めることができるとしている。

出典元:Wikipedia ウィキペディア

「愛する人のそばにいられること」は人間にとって大切です。特に子どもにとっては必要不可欠なことではないでしょうか。生まれてすぐに親の元から離され、病院で育ち、施設に入れられた子どもの話について本を読んだことがあるのですが、人間関係のない環境で育つと脳の発達が遅れ、通常の人よりも脳の大きさが小さくなるそうです。その影響で言語の習得が遅れたり、他の子どもよりも人間関係を築くことが困難になったりします。

以前、アタッチメント(愛着)や安全基地(Secure Base)についてこのブログで紹介しました(→「人は他人に理解されると心が強くなる」)。愛し愛される関係は愛着や安全基地にも共通すると思います。子どもが愛情の中で育つと潜在能力が引き出されるのも容易に想像することができます。

大人にとっても愛する人のそばにいられることは大切ですよね。とてもシンプルなことですが、このことが叶わずに苦しみ、悩んでいる人は意外と多いと思います。

近年では、成人の愛着についての研究も注目されていると大学院で学びました。成人の愛着を勉強していて、人によって様々なタイプがいることを知りました。人を信頼し、安定しているタイプ。親しい関係を求め、極端に人に近づこうとし、嫉妬に苦しめられやすいタイプ。表面的な付き合いをし、人に嫌われないために自分の苦痛や不満を他者に向けないように我慢するタイプなど。これらは子供時代の愛着によってタイプが分かれると考えられています。

「愛する人のそばにいられること」という言葉を聞いた時に僕は自然に愛着と関連づけました。アマルティア・センさんがそれを意図しているかどうかはわかりませんが、心理学的に見ても「愛する人のそばにいられること」はとても重要だと思います。孤独は人を一番苦しめると思うからです。

人は孤独を消すために、アルコールやギャンブル、薬物に依存したり、表面的な人間関係をたくさん作ろうとしたり、インターネットでバーチャルな人間関係を作ろうとします。愛する人のそばにいられたら、きっとこんなに苦しまなくてすむのではないか・・・と僕は思います。

大学院で他の学生とディスカッションしたり、僕自身が体験したことを通して希望を持てたのは、愛着というものは成人になってからも築くことができるということです。

これは僕が体験したことですが、心を理解してくれる人に出会えて、その人を通して愛着の書き換えが行われたときに、僕は人を信頼することができ、精神が安定するという経験をしました。そして人を信頼し、精神が安定した状態で新たな人間関係を築いていったときに、本当に愛する人に出会うことができました。

「愛する人のそばにいられること」は善い人生を生きる上で大切です。むしろ、僕は一番必要なものなのではないかと思っています。

tatsu